ID 112182
著者
Heijmans, Pierre
Dore, Rosemary ミナス・ジュライス連邦大学
資料タイプ
紀要論文
抄録
本稿は,基礎教育において芸術はいかにその特性が活用されうるのかという視点に立ち,筆者によるブラジルの教育現場での実践例を中心に,芸術家と教育者の双方の視点から論じたものである。現在,ブラジルの他,欧州の複数の国々(英国・フランス・ポーランド・ベルギー等)では,教育における芸術理論が以前と比較してあまり重視されておらず,他の学問と比較して芸術だけが持つ特質に関する議論やそれを活かした教育が十分になされていない傾向にある。具体的には,芸術の本質を理解していない誤った教員の指導によって,猫をただ単に〇二つを縦に並べた8の数字のような形を基礎に描くよう示されたり,実生活とは全く異なる異国の事例が見本として示されたりするなど,対象となる学生自身の自由な発想の余地が十分に与えられず,逆に感情のコントロールの手段として描画が取り入れられるなど,本来あるべき姿とは異なった形で芸術が教育に取り入れられている。
そうした経験から,(芸術に従事していない一般の)成人の多くは,非常に典型的な絵を描くことに終始しがちで,失敗を恐れるがあまり,自由に自分自身の想像力を駆使して与えられたテーマを描くということに抵抗を示す傾向にある。そして,こうした誤った教育における芸術の導入により,多くの人々は,人間が元来その性質として内包する無限の潜在能力や,ある対象物に対して感じとる本来個人差の激しい能力を倭小化され,十分に発揮できずにいる。
本稿は,以上のような問題意識にもとづいて,いくつかの描画を描かせる具体的な実践例を参照しながら,どのように芸術を教育に導入すれば,個々人が本来持つ諸能力が開花され,大きく飛躍させられるのかについて論じている。そして,芸術が,その本来の持つ特質を十分に発揮できる形で教育現場に導入されたならば,対象となる多くの人々にとって彼らの生き方や考え方にも啓発を与えうる手段となりうることを指摘している。その際重要なことは,「(対象者が)『芸術』,『自分自身』,『自分の能力』,『創造性』といったものに対する固定観念にとらわれず,心を自由にできるよう促すこと」だという提起がなされている。
日本においては,いわゆる義務教育における美術の時間に描かせられる描画にはさほど制約がなく,一般的に子どもたちは思いのままに描く自由があり本稿で述べられている事例のように簡略化された絵を示され,それをもとに描かされているわけではない。しかし一方,その芸術作品を通して一人ひとりの人間をいかに精神的に解放させ,失敗を恐れさせず,その過程で体験する様々な苦悩を成長につなげさせていくか,といったいわば芸術を通した人格的発達の視点を持ちつつ,美術教育が行われているかどうかについては,個々の教員の裁量にゆだねられている面が多いように思われる。また,評価法についても,他の教科と同様に数値によって評価される場合も多く,「芸術は本質的にそれ以外の学問分野とは違うため,特別なアプローチが必要とされる」,といった認識にもとづいて,全体のカリキュラムの中に位置づけられているわけではない。したがって,芸術を(美術教育という枠を超えて)教育全体の中にその特質を活かしながらいかに取り入れていくことが可能か,という観点からは,今後より深めていく余地があるといえよう。
人間としての個々人が持つ無限の可能性とその能力の開花を促進できるよう,教育の場で芸術の特性がいかに効果的に活かされうるのかという点について,芸術家と教育者の双方の視点からその本質を見極め,今後多くの国々との比較研究の中で,より効果的な導入の在り方についての考察を深めていきたい。
掲載誌名
大学開放実践センター紀要
ISSN
09158685
cat書誌ID
AN10362515
出版者
徳島大学大学開放実践センター
20
開始ページ
57
終了ページ
69
並び順
57
発行日
2011-03-31
EDB ID
225915
フルテキストファイル
言語
eng
著者版フラグ
出版社版
部局
大学開放実践センター